南吉に興味を持ち始めた子どもたち



「4月の終わりごろに、南吉さんのたんけんに出かけるよ。」
と、子どもたちに教師が話しかけました。
すると、すかさずアキヒロから、
「先生、知ってるよ、南吉さんならぼくの家のうらに住んでいたんだよ。」
という反応が返ってきました。
新田町の郷中(古くからの集落)に住む他の児童からも、
「南吉さんは、新田住んでたんだよ。」
という声が聞こえてきます。
しかし、新興地域から通って来ている子どもたちには、新美南吉という有名人と新田
とが結 びつくとは想像できないようで、ショックの大きさからか反応が返ってきません
。ようやく、 「うそだよ。それ、本当?」という声がもれ始めました。

このちょっとした騒動が導火線になったようで、一人、また一人と南吉にこだわりを持ち始 めました。

今日、弟とお父さんと私で、南吉さんを調べました。わかったことは、桜町小学校は昔、 南吉さんが生きていたころは、愛知県立安城高等女学校で、そこは南吉さんが教師をしてい た学校だったということです。 桜町小学校には、南吉さんのうた、って書いてある石ひと南吉さんの写真の石と、すぐ近 くにはごんぎつねらしい石ぞうがありました。そして、「愛知県立安城高等女学校あと」と いう石ひもありました。南吉がここではたらいていたそうです。 そのあと、図書館で読んだ、南吉さんがつうきんしていた時によったと言われる竹内書店 に行っていきました。 4/19 M子 4月4日の読売新聞に、新美南吉の東京時代の青春、という記事名で、記事がのっていま した。東京にいた時にとった写真が見つかって、半田の記念館で展示されているそうです。 あと、集合写真も初公開されるそうです。記事にのっていた写真は、南吉さんの学生服すが たに、白っぽいオーバーコートをはおって、左手に本を持ち、首を少しかしげて遠くを見つ めている、いかにも文学青年といった感じの写真です。 遠くを見つめると、ごんぎつね、おじいさんのランプ、手ぶくろを買いに、というような 名作がうかぶのかな、と思いました。私も、遠くを見つめたら、おもしろいマンガが思いう かびました。 この記事から、新田町の出郷だけではなく、東京にも下宿していたことが分かりました。 4/19 K子

以上のようなことが、子どもたちの日記に書かれるようになってきましたが、早くも
南吉を直接知っている人をさがし当てた子も出てきました。
こうなると、南吉たんけんは熱を帯びてきます。

今日、おばあちゃんの友達の野村さんに、南吉さんはどんな先生だったか、おばあちゃん に聞いてきてもらいました。なぜかというと、野村さんは南吉さんに担任してもらったから です。南吉さんは、やさしくて人の気持ちのわかる先生だったそうです。 その野村さんがよその学校との対こう陸上きょうぎで、いい成せきを取れなかった時に、
「成せきがわるくても、よくがんばった。」と、一人だけはく手をしてくれるような、そん なやさしい先生だったそうです。それに、英語の先生だったそうです。 私も、今生きていたら、新美南吉先生に受け持ってもらいたいです。 南吉さんは、29才ぐらいで、けっかくの病気でなくなったそうです。 私は本当に、南吉さんを見てみたいなあと思いました。もっともっと南吉さんのことを調 べて、身近な人にしたいです。 4/21 M子


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