「南吉に学ぶ会」 研究サークルのみなさんを学校に招いて

研究サークル「新美南吉に親しむ会」会員、沢田さん・山田さんを講師に招き、「南 吉に学ぶ会」を行いました。講師さんたちから話を聞くことによって、これまでの「南 吉たんけん」で湧いてきた児童の疑問や、新たな問題を解決させる場となれば、と願い 行事を設定しました。
「新美南吉に親しむ会」のみなさんは、20年来南吉を追い続けてきた方々です。多 年にわたる研究の成果を本にまとめ、「安城の南吉」として刊行される予定です。当日 は、追求の過程で集められた貴重な資料(教師南吉の指導の朱の入った作文帳・教師南 吉の書いた通知表・教え子とやりとりした手紙・卒業記念に教え子に書いた色紙・南吉 の残した画帳と直筆の短歌)や、当時の写真を実際に見せていただくことができました。
さらに、当時の生徒へのアンケート調査からわかった教師像・人間像についても、児童 にわかるようにかみくだいてお話をしていただきました。
児童たちは、南吉についての新たな知識を得たことに喜びを感じるとともに、沢田さ ん・山田さんのお二人の研究に対するひたむきな態度や、温かな人柄にも直接ふれ、感 動したようです。

ぼくは、南吉さんのことを20年もけんきゅうした人だから、すごく南吉さんのことを知 ってるだろうな、と思いました。 沢田さんの話で、「病気でやせていて、むねがいたくなる。」とか、よく病気で学校を休 んだと言ってたから、ぼくは、南吉さんはすごくからだの弱い人だなあと思いました。あと 南吉さんは、しゅう学旅行や温泉、散歩、いろいろなことをして、それでも生徒に作文を書 かせていたなんて、どれほど作文好きかよくわかりました。 ぼくは、南吉さんが、自分で書いた本の中で2さつしか見たことがないのに死んだなんて 気のどくな人だなあ、と思いました。 南吉さんは、自転車に乗れなかったと、大見ふみこさんから聞いた時は、かなり運動しん けいがにぶいなあと思ったけど、沢田さんから、大見ふみこさんは乗ったことを見たことが ないだけで、生徒の作文には、自転車に乗ったと書いてあった。」と、言ってくれたので、 ほっとしました。 今日はとても勉強になりました。 (たかし) 今日、沢田さんたちが、学校に来て南吉さんのことを話してくれました。 やっぱり南吉大博士になった人たちだなあ、と思いました。だって、ぼくたちが知らない ことを、いっぱい知っていたからです。それに、ぼくたちが考えないようなやり方で調べて いるからです。それは、540人もの人に、1通1通はがきを送って、返事をまつやり方で す。そんなやり方、ぼくたちは考えたこともありません。沢田さんたちって、やり方(調べ 方)も教えてくれるような気がしました。 それから、540人の中に、ぼくのおばあちゃんもいるかなあ、と思いました。だから、 おばあちゃんに、はがきが来たか )聞いてみました。すると、覚えてはいないけど、来た と思うよ、と言っていました。ぼくは、来たのかなあ、と思いました。 沢田さんたちに来てもらってよかったです。 (けん) 「南吉に学ぶ会」では、沢田さんと山田さんが説明してくれた。説明は、わかりやすく、 まだ私たちが知らなかったこともたくさんあった。さすが、20年もしらべているだけすご いなあと思いました。中でもおどろいたのは、南吉の先生時代です。作文は、ABCでひょ うかしていて、自転車に乗れたことや、南吉の絵も初めて見ました。上手とは言えないけど 何かみりょくがある。 生徒たちには、南吉は右かたが上がっていて、こしに手ぬぐいといういんしょうだったん だろうかな。あと、作文の返事も楽しみにしていたらしいことも、初めてわかりました。 私も、沢田さんたちにつづく南吉大博士になりたいです。いろいろ教えてくださって、あ りがとうございました。 (えりか) 沢田さんと山田さんが学校に来てくれて,「南吉に学ぶ会」が行われました。 ぼくは,前から楽しみにしていたので,わくわくしながら視聴覚室に行きました。 やっぱり話が始まると,ぼくの知らないことがいっぱい出てきました。 「南吉さんは,。や、にきびしかった。南吉さんは,しゅうがく旅行に行くと絵に文章を 書いた。生徒がお見舞いに来ると,手紙で返事を返した。自転車に乗れた。幼年童話を書い ていた。南吉さんはけっこんしてない。南吉さんは昭和18年3月18日午前8時に亡くな る。そうしきは4月。」 ということを聞きました。 しゅうがく旅行に行って絵をかいて,文字をそえたり,お見舞いに来てくれた費とにすぐ に手紙で返事を書いたり,からだの具合の悪い時はねどこの中で本を書いたりして,南吉さ んはとても文章を書くことが好きだったことがよくわかりました。 (せった) 今日11月21日,「新美南吉に親しむ会」の沢田さんと山田さんという人たちが来てく れて,南吉さんのことで私が知らないことをたくさん話してくださいました。 その中でも,あのまぼろしの通知表です。やっぱり今,わたしたちがもらう通知表とちが いました。もっと,横が細くて,よく見えなかったけど,中身はだいたい今のと同じような 物だったような気がします。 あと,南吉の書いた絵です。やっぱり,南吉は字もうまいし,絵もユニークでした。しゅ うがく旅行の時に,旅行記にかいた絵も見せてもらいました。なんか,学校の先生のかくよ うな絵じゃなくて,おもしろいっていうか,かわい絵でした。 それに,南吉はやっぱり「弥厚伝」が書きたかったみたいで,石原先生が教えてくれたこ とは,本当だったんだなあと思いました。 それから,安城高等女学校の先生だったころのことも,いろいろ聞かせてもらいました。 その中でも,一番いんしょうにのこったのは,南吉が片方のかたを上げて足をひきずるよう に歩いていたということです。このスクープ(じょうほう)は,あのころの生徒さんにしか 聞けない特別じょうほうで,沢田さんと山田さんのほか,そのサークルに入っている人たち が集めたスクープを教えてくれたので,とても勉強になりました。そのほか,学校は病気の かげんで休むときがあっただとか,南吉は,文章の、や。にきびしかっただとか,宿題をわ すれるとこわかったとか,やっぱりほかの先生にはけっかくがうつると言っていやがられて たとか,いっぱいいっぱいためになることを教えてもらいました。 あと,南吉は歯医者がイヤだったなんて,けっこうこわがりだったんだなあ,と思いまし た。でも,花の名前を知ってるなんて,やっぱりもの知りだなあと思いました。 今日は,沢田さんと山田さんに新美南吉のことをいっぱい教えてもらって,とっても勉強 になりました。改めて,沢田さんと山田さんにお礼を言いたいです。ここに書くのも変だけ ど,沢田さんも山田さんも,本作りがんばってください。楽しみにしています。わたしたち 新田小学校のインターネットも見てください。 それじゃあ,これから今日,教えてもらったこともふくめて,インターネット作りの道を GO! (まき)

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